世界の時間①「人生はクソゲー?」
※文章を読んでいく内に意識が混濁、精神が汚染されてきたと感じたら過去に紹介した音声作品でも聴いてリフレッシュしてください。
唐突ですけど、僕は友達も趣味も少ないです。
なので、一日の大半は…
「人間は時間の檻を破れるのか? 自分の寿命でその瞬間に立ち会えるのか? そもそも時間は存在するのか?」
こんなことを考えながら(結構真剣に考えてます)、データ上のお姉ちゃんに膝枕で耳かきしてもらっています。
考える対象は「時間」だったり「神」だったり「愛」だったりしますが、便宜上、僕がこれらについて思考している時間のことを「世界の時間」とでも称しておきます。
陰(いん)ッ!!
さて、最近僕が「世界の時間」で考えているのは「人生」についてです。
ネット上ではよく「人生はクソゲー!」といった主張を目にしますし、最近流行りのライトノベル『弱キャラ友崎くん』でも「人生はクソゲー」というキーワードを軸に物語が展開されました。
実際、人生はクソゲーなのでしょうか?
よく言われるのが、「人生にゲームオーバーはあっても、クリアは無い」ということです。
近年はとくにクリアの目標を定めていないオープンゲームも発売されていますが、それにしたって往々にして大筋というのは定められています。
それに対し人生は、「最終的に何を目標に行動すれば良いのかが分からない」。
これこそが皆さんの提唱する「人生クソゲー論」の根幹だと考えました。
「いやいや、それは幼稚な考えだよ。人生の目標なんて自分で定めるものだろう。誰かが提示してくれるわけでもなし。それこそゲームと違ってね」
こんな反論が飛んできそうですね。
まあ、正論なんで返す言葉が無いんですけど…。
そもそも、僕たちは何故生まれてきたのでしょう。
おそらく、次世代の人間を産み育てるため、と考えるのが最も一般的な回答でしょう。これまで積み重ねられてきた人類の歴史を継続させるため、ヒトという種を存続させる…。
他の生物も一様に、「種の存続」のために生きています。
ですが、ちょっと待ってください。
どうして種を存続させる必要があるんでしょうか。
産まれ、次の世代に命を繋ぎ、死ぬ。この流れを「生命」と呼ぶのなら、「生命」は何がしたいのでしょうか。
謎。
そう、「謎」です。
この世界は謎に満ちています。
僕がいくら「世界の時間」で思案に耽っても、それらの謎の答えは見つかりません。
だからといって、答えが無いわけではないのです。
それが極端に見つけづらいというだけ。
そして、答えに辿り着いたとしても「それが正解だ」と誰も教えてくれないだけです。
さて、話は「人生クソゲー論」に戻ります。
そういえば、人生というゲームのジャンルは何でしょうか。
あくまで一つの意見として、僕は"現代におけるヒトの人生"は「謎解きゲーム」だと思っています。
他の種族より発達した大脳と思考能力を有し、高度な社会文明を築き上げたヒト種族。
そして世界中に溢れる数多くの難問。
まるで何者かが「さあ、解いてごらん」と囁いているようではありませんか。
ただ、人生が謎解きゲーだとしたら問題が難しすぎるし、答え合わせが出来ないのは致命的な欠陥なので、僕の結論としては人生はやっぱりクソゲーだと思います。終わり。